シャネルは、ガブリエル(通称ココ・シャネル・1883〜1971フランス生まれ)が、1910年代に起こしたブランド。7歳で孤児として修道院に預けられるという恵まれない幼少時期を過ごしたシャネルは、10代の頃から洋品店でお針子として働きだす。その後、イギリス人の恋人アサーカペルに出会い、彼の資金援助を得て、1910年にパリに帽子屋「シャネルーモード」を開く。第一次世界大戦が始まると、お店をパリから南フランスのドーヴィルに移し、パリから疎開してきた人向けにドレスを作って売り始める。拓年、安いジャージ生地で作った洋服が注目され、アメリカの有名なファッション誌『ハーパースーバザー』にも取り上げられる。ほかにも、ブレザー、カーディガン、船員のはいていた太めのパンツ、オープンネックのシャツなど伝統的なメンズウエアを取り入れた服を次々に発表し、20〜30年代に絶頂期を迎える。第二次大戦が勃発した39年に一時店を閉じるが、戦後、54年に店を71歳で再開。55年には、戦前に原型のでキティいた、衿がなく、ひざ丈の短いシャネルースーツを再び発表し、60年代に新たに大ブームを引き起こしている。
当時の五島昇日本・東京商工会議所会頭の提言で1986年に「社団法人東京ファッション協会」の名称で設立され、1990年には現在の「財団法人日本ファッション協会(JFA)」となった業界団体の2007年6月現在の役員の顔ぶれを見ても、オンワード樫山、東レ、ワールド、鹿島建設、資生堂、松坂屋、東京ガス、本田技研工業、鈴乃屋、アシックスと幅広い。業界の垣根を越えた広がりこそ、ファッション産業の特性ともいえるだろう。ビジネスモデルも多彩にまたビジネスフローも以前のようにくっきりと領域が区分けできなくなり、「メーカーであるが小売店も運営する」、逆に「小売業が独自のブランドを創造して自らの店舗で販売する」などというビジネスモデルも出現している。
1520年は男性服飾史を眺めるうえで、きわめて重要な年であった。この年、イングランド王ヘンリー8世とフランス王フランソワー世が、ノルマンディー地方の北、ドーヴァー海峡を臨むカレーで会見した。ヘンリー8世は1491年生まれの29歳、即位してH年目。一方、フランソワー世は1494年生まれの26歳、即位して5年目。ともに若く精気を辰らせる対主であった。ふたりは共迦の敵と、神聖ローマ皇帝カール5世について協議し政治的協調を探るために顔を合わせたのだが、目撃者によればその会見は「錦糸の生地の原野」と評されるほど絢爛たるものだった。ヘンリー8世もフランソワー世も、じつは身を包む衣服の豪華さで互いに相手を圧倒しようと目論んでいたからだ。このエピソードは、ヨーロッパでは衣服が外交の現場できわめて重要な意味を持ってきたことを示している。当時の君主には、自らが最高の衣裳を着る自覚と気概があったし、より上質で華麗な服を着ることが君主としての務めでさえあった。それ以前はひたすら華麗さ、豪奢が衣服には求められた。ふたりが当時、どのような衣服をまとっていたか、格好の肖像両が残されている。
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